2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

セクハラの気持ち悪いところ

セクハラに限らず「〜ハラ」には気持ち悪いところがいくつかあるのだけれど、一番気持ち悪いところは、それが犯罪でないところだ。犯罪なら、罪刑法定主義の要請に従って、構成要件が明らかでないといけない。しかし「〜ハラ」は犯罪ではないので、構成要件…

やっぱりちょっと構えるなぁ

mixi なんていう生温いところから出てくると、以前 blog を書いてたときの(当時は「blog」なんて名前はなかったが)感覚が取り戻せなくて、どうも閉じた世界と開いた世界の違いを強く意識してしまわないでもない。慣れるまでしばらくかかりそうだ。

初音ミクと歌の芸術性

芸術を「表現された良いものと、その表現を行なった人間の技への称賛」だとすれば、実写よりアニメの方が手法としては芸術性が高いと言える。これは写真より絵画の方が一般に芸術的と見なされるのと同じ。実写は、神様から与えられた(人間が作ったものでな…

テロと憲法九条

「あの国」のやるべきことは - 内田樹の研究室日本が今のところユダヤ・イスラム間のテロの脅威から逃れられている理由は、日本にテロを仕掛けることがどちらのテロリスト(もしいれば)にとっても大きな利益にならないからだろう。テロリストに対して戦争を…

社会的制裁という名のリンチ

漏れ伝わってくる情報だけから敢えて判断すると、亀田一家は私の価値観に基づけば、品がないように見える。が、彼らは彼らなりの価値観を持って生きているのだろう。どちらが正しいとか、良い悪いの話ではない。みな一所懸命に生きてるはずだ。試合で反則を…

心を鍛えること

健康でいるためには適度な運動をして体を強く保つべし、という考え方は一般に受け入れられているようだけど、心の健康のためには適度な精神的負担を受けて心を鍛えるべし、という話はあまり聞かない。むしろ、個人の心の負担を社会(つまり他人)ができるだ…

ニコ道とグローバリゼーション

「404 Blog Not Found:ニコニ考 - ニコニコ道が見えてきた」より: 線がはっきりわかって誰もニコニコしていないのと、線はおぼろげで見えないけどみんながニコニコしているのとどちらがよいか これを読んで、「線を引くべきである」というのも価値観の一つ…

歌も思いを伝えるためにある

いい例が挙げられないのだけれど、自分自身の価値観をしっかり持ちそれを表明する、ということを恐れている人が多いように感じる。「自分はこう思う」という言葉よりも、「一般に〜」とか「世の中では〜」とか「〜ではないだろうか」という言い回しをよく聞…

職業人生教育

キャリア教育再論 - 内田樹の研究室『もしほんとうの意味で学生たちに生涯にわたって労働し続けるモチベーションを賦活するような「キャリア教育」があるとすれば、それは「私の労働を喜びとする他者がいる、私からの労働の贈り物を嘉納してくれる他者がいる…

デジタル思考というか二分法というか

そういうのが最近気になって仕方がない。病気か病気じゃないかとか、体の病か心の病かとか、鬱病かそうでないかとか、いじめかそうでないかとか、誰の責任かとか、我々側かテロリスト側か、とか。そんなに簡単に線が引けるものじゃない。というか、線を引い…

まともな社会人

学生に対して、たまに「まともな社会人になるには」とか「まともな大人になる」とか言うことがある。この「まともな」が主観的なことはさておき、「まともな社会人」と「まともな大人」がもしかしたら違うかも、とふと思った。

日記より日誌

カール・ヒルティも言ってるけど、私も日記はつけるべきでないと思う。小中学校では日記をつけなさいと言われたような気もするが。それに対して、出来事や行動を記しただけの備忘録としての日誌はきわめて有用だ。計算機で検索ができる現代では、以前より有…

車の窓からやけに明るい星が見えたので、田んぼに車を止めて空を見上げました。

苅谷剛彦「なぜ教育論争は不毛なのか」

なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ)作者: 苅谷剛彦出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2003/05/10メディア: 新書購入: 3人 クリック: 16回この商品を含むブログ (23件) を見る