社会的制裁という名のリンチ

漏れ伝わってくる情報だけから敢えて判断すると、亀田一家は私の価値観に基づけば、品がないように見える。が、彼らは彼らなりの価値観を持って生きているのだろう。どちらが正しいとか、良い悪いの話ではない。みな一所懸命に生きてるはずだ。

試合で反則をした。反則はいけない。だから負けた。反則をされた方は不快だったろう。だから謝る。それは悪くない。

しかし、なぜ無関係な一般人がこれほどまでに彼らを非難できるのか? そんな権利が一般人にあるのか? いったいどんな不利益が、試合と直接関係ない、もっと言えば単なる娯楽として、テレビの前で無料で観ている人間に降りかかったと言うのだ?

学校で起きたいじめ問題で教師が非難されるのと同じ構図がここに見て取れる。被害を受けたわけでもない一般人が、自分が個として裁かれないのをいいことに、まるで自分が全く過ちを犯さないような存在であるかの如く、誰かを非難する。

そして彼らは必ず言う。非難されて当然のことをしたのだから、社会的制裁を受けるべきだ、と。

ならばあなたは、あなたの全ての行いを公衆の前に晒して、非難されるべきかどうかを公衆に決めさせてみなさい。誰ひとりとしてその決定に責任をとらない公衆に。

TBS書 10章17節 亀田教の終焉 http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=391