ニコ道とグローバリゼーション

404 Blog Not Found:ニコニ考 - ニコニコ道が見えてきた」より:

線がはっきりわかって誰もニコニコしていないのと、線はおぼろげで見えないけどみんながニコニコしているのとどちらがよいか

これを読んで、「線を引くべきである」というのも価値観の一つに過ぎないということに気づかされた。

「線を引く」というのは、論理的にAかAでないかを決めることで、その基盤に論理体系が必要だ。有罪か無罪かを決めるのに法体系が使われるのがその例のひとつ。

互いに相容れない異なった公理を持つふたつの論理体系があったとき、「線を引かねばならぬ」という価値を採用すると、どちらかの公理系を否定しなければならない。「線を引かねばならぬ」をグローバリゼーションと考えれば、なるほど、グローバリゼーションがそこかしこで戦いを引き起こすわけだ*1

ニコ動の話は、「線を引くべきだ」という価値と「みんなでニコニコしよう」という価値の対立ということだろうか。この価値の対立さえもニコニコと飲み込むことができたらすごいな。もっとも、法治国家という仕組み自体が「線を引くべきだ」という価値を内包しているようにも思えるが。

*1:より正確には、「線を引くべし」+「特定の公理系」か。