重国籍はつまらない

国籍法改正の話がよく聞こえてくる。偽装認知が問題になる、ってのはその通りだと思うけど、それは何とか頑張ってほしい。

私はそれよりも、ついでに二重国籍を許そうって話の方が嫌な感じがする。国籍を複数持つことは、特権だと思う。それを、単にある条件で生まれただけで持てるなら、法の下の平等に反すると思う。人権擁護法案という詐欺法案が問題視する私人の間の差別より、よっぽど普通に差別だと思う。

日本人としての権利義務は重国籍者でも変わらないから憲法14条には反しない、という主張もできるかもしれないが、それならば国籍法が違憲な理由も成り立たないと思う。法の下の平等は「国民」についてのみ憲法に規定されている。誰を国民と認めるかは、条文をそのまま解釈すれば、憲法埒外ってことになる。もちろんこんな解釈は無茶苦茶だ。でも、だから同じ理由で、重国籍も法の下の平等に反すると思う。

でも、こんな法律論は疲れる。それよりも、国の集まりで世界が成り立っている、という仕組みの元では、重国籍はつまらないと思うのだ。ふたまたをかけて、状況に応じて自分に都合がいい方で暮らせるというのは楽だけど、ひとつの国(それが生まれた国であれ、移住した先であれ)で一生懸命暮らして、頑張ってその国をよくするという考え方が、世界を面白くするような気がする。もちろん侵略や搾取はいかんけど、そういう時代ではないはずだから。

たとえて言うなら、野球ファンになるならどこかひとつのチームを応援しようよ、ということ。

国籍という概念の対極にあるのは、国家という仕組みの廃棄で、ある種の人々は国家などない方がいいと考えているようだ。でも政治的仕組みなしで現代社会は成り立たない。ならば、国家の廃棄イコール世界統一政府の実現だ。それは強大な権力、地球上のどこへ行ってもその力から逃れられない権力を意味する。さまざまな国家があって、曲りなりにも住む国を選べるという今の状態の方が、個人にとっては自由な状態だと思うんだがな。