義務の大きさに対する疑問

児童ポルノの単純所持違法化は、個人の義務を大きくしすぎないか。

電気通信事業法では、電気通信事業者は通信の秘密を侵さない義務、知った秘密を漏らさない義務を負っている。電気通信事業者のもとに、たまたま取り扱っている情報として児童ポルノがあっても、これらの義務によって逆にそれを知る必要はないし、もし知っても誰にも言う必要がない(言ってはいけない)。よって児童ポルノを扱っているかどうかを気にする義務がない。

児ポ法強化によって児童ポルノの単純所持が違法になると、個人はその持つ全ての情報について、児童ポルノがないことを常に保証しなければならない。

電気通信事業はもともと国が営んでいた事業であり、現在は業務で営まれているものである。それらには個人よりも大きな義務が伴うはずだ。けれど、単純所持が違法になれば、持っている情報の内容を知っていることについて、個人の方が大きな義務を負うことになる。その業務のためにはいくらでも金や人をかけることができるし、実際にかけてきて、これ以上ないくらいにシステム化されているはずだ。しかし、そのように強力なシステムを使っても、情報の内容に対する何らかの処理をしようとするなら、とても大きなコストがかかるだろう。けれど、単純所持が違法になれば、そのようなシステムでも難しいほどの情報の処理が個人に義務づけられる。

この情報化時代に、自分の PC を行き来する情報が、すべて「児童ポルノ」であるかどうかなど、どうやって判定するというのか。それを自動的に判定する技術はいまのところない。人間が目で見てやるしかない。では情報化社会では、個人は、一日中自分の PC に貼り付いて、そこを流れる情報が児童ポルノかどうか確認していなければいけないのか。

そして、児童ポルノがあると気がついたとき、あなたはすでに犯罪者だ。

(内容を知る義務ではなくて、内容を知るためのコストを背負う義務です。というわけで追記。)