情報の単純所持を違法とすることの意味 (3) ― 日本のネット技術発展の断絶

前に、児ポ法改正で児童ポルノの単純所持を処罰すると2つの問題が生じると書いた。

今回は3つめ。

  • 日本のネット技術の発展を断絶させる

これからのネット技術とは何か。いま、ネット技術はどう変化しつつあるのか。

今をときめく高成長のネット企業と言えば Google だ。Google のコア技術のひとつは検索エンジン。あとはさまざまなウェブサービスを提供している。

これらのポイントは何か? それはネットでの情報のやり取りの自動化だ。

それに対して従来のネット利用形態は、人間がマウスで目的の情報をクリックするというもの。このふたつは、手工業と機械工業に例えることができる。ネットは間違いなく、いま、手工業から機械工業の時代に入ろうとしている。Google に追いつけ追い越せ、Web 2.0、そんなかけ声は、ネット上の情報処理の機械工業化とそれによる新たな応用の模索を意味していると思う。

ネット上で自動的に情報をやり取りする技術は、早晩、個人のパソコンの機能を高度化するために利用されるだろう。たとえば、ネットからユーザに合った情報を自動的に集め、そこから必要な情報を抽出し、処理し、有機的に組み立ててユーザに提供するシステム。個人向けの高度情報収集処理システムだ。今までは夜中までかかっていちいちクリックして探していた情報が、このようなシステムができた暁には、寝て起きてパソコンを見ればそこにある。これは個人の力を飛躍的に高め、それが国全体の利益につながるだろう。また、使いやすいようにうまくシステムを作れば、子供やおじいちゃんおばあちゃん、IT に慣れない人が自分がほしい情報を集めるのに役に立ち、ディジタルディバイドの問題も緩和されるかもしれない。

では、児童ポルノ画像などの単純所持が禁止されたらどうなるか。考えるまでもない。ネットから自動的に情報を集めるという方法が一切使えなくなるのだ。そんなシステムを動かせば、いつ自分が犯罪者になるか分からない。だから、こういうシステムを誰も作れなくなる。研究も、開発も、実験も、一切できない。

児童ポルノに限らず、どのような情報に関しても、単なる取得や所持を処罰することは、日本を情報の手工業状態に釘付けにすることだ。そういう規制のない他国は、やすやすと情報の機械工業時代に達するだろう。

考えてほしい。情報の取得や所持を処罰するというのは、人間が手で情報を取得しており、自分が所持している情報をすべて知っているという前提の、手工業時代の規制方法ではないだろうか。そのやり方で、これからの超高度情報化時代に、日本が情報技術の先進国でいられると思うのか。

自由という考え方の基本に戻ろう。他者に直接に危害を加えないことは禁止すべきでない。なぜなら、上に書いたようなアイディアが誰から出るか分からないからだ。それが結局は皆の幸せのためになる。処罰するか否かの線は、原則として、他者に直接危害を加えるかどうかで引くべきだ。情報の取得や所持そのものは誰にも危害を加えない。危害を加えるのは情報を出すとき、つまり肖像権侵害のときだけだ。違うか。

そして、危害を加えるかどうかの線の上で守るのが警察の役割だ。そのためには必要な税金は使っていい。取締りを楽にするために危害を加えない行為まで罰するのは、目的と手段が入れ替わっている。警察が十分に取り締まれていないという単なる現在のたまたまの状態、そして損害が高々肖像権侵害である*1ことは、思想の自由の侵害のリスクまで犯して、危害を加えない行為まで処罰する理由にはならないと思うが、いかがか。

関連:

*1:スピード違反による過失致死傷や銃の所持による殺人などとの比較で言っています。