専門家の視点はそこなのか

池田信夫さんのブログ、面白いし勉強になるのでたまに読んでる。きょうたまたま見に行ったら、まさに思ってたことが書いてあって、うんうんとうなずいた。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4144d5a441829bbbd348a69e53ed71e1

有害情報は本にもビデオにもあるのに、なぜインターネットだけが行政処分を受けるのか。

そうそう、まさにそれを考えてた。で、コメントの議論を読んでたんだが……んー、専門家の視点は何か違うって感じがする。一連のエントリはこれね。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4aee54f5a00a190bb3af575b34780be7
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f9a907ff7686abe56706da31d1932c5a

関連して、この前も連っておいたこれ。

osakana.factory - 日本の子供たちからインターネットが消える日

要は自民や民主や行政が、有害本と全く同じ枠組みで有害サイトを規制しようとしているわけだ。

私が感じる問題点はこのふたつ。

  1. コンテンツ提供側が負担しなければいけない(いろいろな意味での)コストが大きすぎること。
  2. そもそもこの規制は妥当なのかということ。

前者は池田氏も「行政がこういう規制を行なうのは、副作用(萎縮効果)が大きすぎます」とコメントで書いてるし、自分でサイトを持ったり管理したりしてればすぐわかる。このような規制はネットの良さを潰してしまう。立法したい人々の目的がそれなのかも知れないけどね。でもネットの利用に関して海外に遅れを取ってしまうのは必定。

後者。ここがとても気になる。でもコメントの議論ではあまり掘り下げられてない。ニーズがあるとか、支持を得るとか得ないとか、他の国ではどうかとか、そういう視点からの話はあるんだけど。もしかして「規制すべきか否か」という議論はナイーブな一般人の視点なんだろうか。

でも気になるので考えてみる。

この規制は事実上、青少年に対する情報の検閲なわけだ。表現の自由は、任意の相手に対して表現できないと意味がない。「何を言ってもいいですよ、政府が認める相手だけになら」では表現の自由にならない。辞書通りの「検閲」ではないけど、表現の自由が制限されていることは確か。そのような検閲(と呼ぶことにする)が許されるか、という問題だよな。

「青少年に対して有害」と「表現の自由」をそのまま天秤にかけたら、表現の自由の方が重い。みんなそれを分かってるから、数多ある有害な本(エロ本とか以外)は発売禁止にならないし、本屋に行けば買えるわけだ。

でもとりあえず、ある程度の検閲が妥当だと仮定してみる。

ネットが本と違うのは、大量の情報を低いコストで入手できること。有害本を買うには金がかかるし、買えるところに行かないといけない。子供にはこれが障壁になって、有害本から遠ざけられているという面があるだろう。この障壁のない、簡単に入手できるネット上の有害情報を規制してほしい、と親が思っても自然だ。

でも、それで規制していいんだろうか。池田氏のブログに、小倉秀夫さんという人(書き方を見ると法律の専門家のように見える)がコメントをつけていて、こんなことを書いてる。

有害コンテンツ規制自体は社会的なニーズが相当程度あるので,立法府がこれに対応した規制立法を行うことは「恣意的」とは言い難いでしょう。この規制を中央政府が行うこと自体を主たる反対理由とした反対論は,広い支持を集めないのではないかと思います。実際,諸外国でも,この種の規制はむしろ中央政府が行っています。

私の理解では、社会的ニーズがあるからといって規制してはいけないものがあって、そのひとつが表現であり、また何らかの規制の基準として特定の価値観を使ってはいけない、だと思ったんだがなぁ。それで魔女裁判が起きたんだし、生類憐れみの令なんてのも現れたんだし。(これは社会的ニーズはなかったな、多分(笑))*1

池田氏のブログにあった自民党案によれば、もろ価値観が基準になってる。

第2条の2(青少年有害情報の定義) この法律において「青少年有害情報」とは、次のいずれかの情報であって、青少年健全育成推進委員会規則で定める基準に該当するものをいう。
1. 青少年に対し性に関する価値観の形成に著しく悪影響を及ぼすもの
2. 青少年に対し著しく残虐性を助長するもの
3. 青少年に対し著しく犯罪、自殺又は売春等を誘発するもの
4. 青少年に対し著しく自らの心身の健康を害する行為を誘発するもの
5. 青少年に対するいじめに当たる情報であって、当該青少年に著しい心理的外傷を与えるおそれがあるもの
6. 青少年の非行又は児童買春等の犯罪を著しく誘発するもの

例えば性に関する善悪なんて決められないから、何が「悪」影響かは完全に価値観の範疇だ。それに現代では、自殺は必ずしも悪いことになってない(私は個人的には自殺は悪だと思ってるが)。非行なんて、言葉自体が価値観の塊だ。ストア哲学では自殺が肯定されてたりする。「ストア哲学のすすめ」なんてサイトを作ったら有害サイトになってしまうかもね。*2

だから、表現規制であることと、特定の価値観に基づく刑罰法規であることの、ふたつのこと(原則を破っていること)をどう正当化できるのか、がポイントだと思うわけだ*3。本当にやむを得ないのか、ということ。何かそういう原則を忘れて(あるいは知らずに)規制しろ!みたいな話になってるように見えなくもない。それが恐いな。

で、この組合せ(表現+価値観)なとこがとっても問題だと思うのだ。

そうじゃなければ、例えばタバコは体に悪いし中毒性があるから、あまりわけわかってない子供の頃は吸っちゃダメよ、というのは、問題が少ない。吸いたいけど吸えない、ぐらいの制約でしかないから。あるいは、男の子が女の裸の写真を見たいと思っても、子供はまだダメよ、ってのは、これも見られなくて悔しいぐらいの話で、問題が少ない。表現の自由はそういうのを守ってるわけじゃないからね。

でも、表現+価値観が規制できると、こんなことが起きうる。私が、青少年に対して、自分がよいと思う価値を伝えるサイトを作ろうとする。その価値には、例えば青少年はこう生活しようとか、性はこうあるべきだとか、あるいは政治的にはこういう見解が妥当だとか、宗教に関してはこれこれだとか、社会を変えたいなら死ぬ気でやれとか、そういうことを書く。しかしその内容は、時の政府に不利益かも知れない。このサイトが有害サイトと認定されたら(性的なところが有害と判断されるとか、「死ぬ気で」のところが心身の健康を害すると判断されるとか、まあなんでも)青少年は閲覧できなくなるから、私の表現は潰される。そして政府は喜ぶ。

これが起きない保証はあるか?という問いでなく、これが起きうる仕組みはそもそもダメなんじゃないの?ってこと。つまり表現規制と価値観の強制は、正当化できないのではないかな。だって、これってまさに表現の自由が一番侵害されてはいけないパターンなんだから。

自分の子供を有害情報から遠ざけたいという親の気持ちはとってもよく分かるけど、他に手段がないのでなければ、処罰を伴う表現規制に訴えてはいかんと思うんだな。それは自由と民主主義の根本なんだから。親の価値観だってひとりひとり違うので、価値観の押し付けもよくない。(そういう意味ではマスコミの方がよっぽど有害だと思う、ってのは前に書いたっけ。)

じゃあ手はあるのか。私はあると思う。ちょっと考えてみた。

子供が得る情報を、国ではなくて、親がコントロールする。これが妥当だよね。表現の自由の侵害にもならない。

子供がネットに接するのは、携帯電話、自宅、ネットカフェなどのサービス、学校ぐらいかな。

  • ネットカフェなど、金を取ってサービスをするところでは、親が情報をコントロールできないから、18歳未満は利用禁止にする。タバコや酒や競馬とかと一緒の感覚。
  • 携帯電話は、ネットアクセスのフィルタリング機能を持たせる。これ、義務づけなくてもいい。携帯各社がフィルタリング機能のあるものとないものを売ればよい。親は自分の子供のために選ぶ。そして、フィルタリングの設定は親だけができるようにする。これも義務づけなくていい。携帯各社がそうすればいい。親は自分のやりたいことに合ってるものを買えばいい。
  • 自宅のPCは、ネットアクセスのフィルタリング機能のあるものを親が買う。今どきの OS なら簡単にできる。
  • 学校は、その学校の理念に応じて、ネットアクセスをフィルタする。

これができればとりあえずは十分だよね。

で、下3つのフィルタリングの仕方について。

フィルタリングの方式には、大きく分けてホワイトリスト方式とブラックリスト方式がある。どっちがいいかは一概に言えない。それに、どのサイトを閲覧可とするべきで、どのサイトを不可とするべきかも、親によって違うはず。

だから、フィルタリングサービスが商売として成り立つようにすればよい。複数あれば親は自分の価値観に応じて選べる。

でもいきなりそれは無理なので、まずは税金を使って官製のフィルタリングサービスを立ち上げる。ホワイトリストでもブラックリストでもよい。海外のサイトは閲覧不可にして、国内サイトはブラックリスト方式にするのが現実的だろう。

ブラックリストの作成は、全国の有志(親とか学校の先生とか)に協力してもらう。ブラックリストに登録すべきサイトを見つけたときに、簡単な操作で(例えばブックマークレットとかを使って)ネットワーク経由でフィルタリングサービスのデータベースに追加できるようにする。逆に、データベースからの削除も同じように簡単にできるようにする。これしばらく運用すれば、かなりまともなブラックリストができるように思う。どうせ収束しないんだから。緊急じゃないんだし、親もさぼってないでそのくらいやろうよ。DNS を使ってレイティング情報を配信する手もあるし、それを使えばデータベースも分散できる。技術的には十分可能だ。

で、民間のフィルタリングサービスが充実してきたら、官製サービスは民営化するか、ソフトとデータベースを売っぱらって清算してもいい。

自由化とか言ってた割には、何でも政府がやろうとしてるよな。親もお上に頼りすぎじゃない?

Any society that would give up a little liberty to gain a little security will deserve neither and lose both. (Benjamin Franklin)

僅かの安全を手に入れるために少しでも自由をあきらめる社会は、安全も自由も得るに値せず、どちらも失うだろう、だそうです。今回の件、とっても当てはまる気がする。

…やっぱりナイーブですかね。

*1:以前どこかのブログで、刑法175条は価値観(道徳だったかな?)に基づいてるって話を見かけたことがある。それはそうなんだけど、刑法は憲法より前にできてるからね。他者危害の原則を厳密に適用したら刑法175条は怪しいと思う。

*2:自殺に関してなら、マスコミ報道の方が問題だろうと思うがな。おととしの秋、子供たちが連鎖的に自殺したような気がするが、あれはネットのせいかねぇ。

*3:助長、誘発、恐れという言葉による曖昧さはここでは見逃しとく。個人的には、このような言葉が入っている刑罰法規は即座に却下すべきだと思うんだけど。