まあそんな感じで

差別を理由に何かを禁止しようとしたら、どんな法律を作ったって思想の処罰にしかならないと思うんだよな。人権擁護法案も、苦労して作ったんだろうけど、結局やろうとしていることは差別の禁止なんだから、思想の禁止が入らないはずはなくて、現代において法律として成り立つはずがない。正体は刑罰法規なのに言葉の言い換えで隠そうとしているところとか、突っ込みどころが多くて困る。

前エントリを書いてて、差別が人権侵害になる例を考えるときにとっても困ってしまった。だって人権って、国に対する個人の権利なんだもの。義務を負うのはあくまでも国。私人の間で「表現の自由」とか「最低限の生活を営む権利」とか、成り立ちようがない。「殴る」だって、私人の間の場合には(身体の自由という)人権侵害としてではなく、他者危害の原則から禁止されるわけだし。

国が私人の人権を守るために私人を罰する、なんて、泥棒が誰かの財産を守るために別の誰かの財産を盗む、って言ってるのと同じだよ。聞いてて頭がおかしくなりそうだ。

人権擁護法案も、児ポ法も、ネット規制法案も、普通に生活している一般人がよく知らないところにつけ込んで、日本のよって立つ理念(憲法にも書かれているもの)を壊すように作られてる。腹立つねぇ、まったく。

頼むから、こんな指摘を一般人にさせないでほしい。こっちは安心して働いて暮らしたいだけなんだから。