「不快感」による表現の弾圧

はてなもそうだが、SNS掲示板の規約や運営方針で「他人に不快感を与えるような書き込み」をするな、というのが目につく。これがとても気になる。

表現の自由がとても重要な権利として認められているのは、各人が自由に表現することで、考えを交換し、共有し、議論することが、個々人の幸福やよりよい社会のために役に立つ、という考えからだ。その過程では、どの考えが正しいかとか、どの考えが妥当かなどは分からない。人間は誤るものだから。そういう前提があるので、全ての表現はその正しさや妥当性に関係なく許されないといけない。

だから、ある表現が、不快かどうか(に限らず、何らかの基準)によって禁止されるのは、表現の弾圧である。

世の中には常に、ずるい人間や不道徳な人間がいる。表現の自由が有効なときには、彼らのずるさや不道徳さは、事実として、また批判として、多くの人の知るところとなる。ところが上のような弾圧が許されると、彼らは「不快」を理由として、事実の流布を止め、批判を封じることができる。

これは結局、ずるい人間、悪い人間にとって有利な社会を作り出す。

タブーを作ってはいけない。全ての表現を許して、善も悪も全て太陽の光にさらすべし。そうすれば悪は力を失うだろう。

「不快」な書き込みを禁ずるという規則は、誰かが不快な思いをしないための配慮だということはわかる。が、自分の不快を理由として、他人が考えを共有するのを妨げてはならない。また、自分の公の発言に対しては常に穏当な批判を受けなければいけない*1。それが自由という考え方だ。それらがいくら不快であっても。

もちろんSNS掲示板は公権力ではない。が、自分たちがやっていることが表現の弾圧に加担しているということは知っておくべきだと思う。公権力が押しつけようとしている、共謀罪人権擁護法案児ポ法などの悪法は、みなそこにつながっている。

自由な社会に生きるには、精神的に強くないといけない。特に、批判に耐えられなくてはいけない。(というか、慣れると、感謝できるようになる。)精神的に弱い人間は、社会を全体主義化させるしかない。さて、日本人はどうだろう。

*1:誹謗中傷などは別。だが、それもあらかじめ禁止されていいものではないと思う。それはやはり表現の自由の制限になるので。