根無し草の人権意識

人権の侵害者として最も気をつけなければいけないのは国家権力だ。昔からそうだった。というか、例えば自由権は、国家に禁止/処罰されずに物事を行なう権利として成立したものだ。人権は、国家が個人に対して守ると約束した権利であり、だから憲法にそう書いてある。

しかし、日本の最近の動き、例えば人権擁護法案児ポ法に関する動きなどは、「人権を守る」という題目のもとに、犯罪の範囲を拡大することで、国家権力を強化しようとするものだ。犯罪の範囲を強化することは、自由権の範囲を狭めること。つまり、人権の一部をあきらめることだ。そしてそれが表現の自由であるときは、一切の自由をあきらめることに等しい。「人権を守る」刑罰法規は、人権を制限するのだ。

こういう動きに賛成する人は、多分、自由権が最も重要な人権であることを知らないんだろうな。

悲しいけれど、よく思うことがある。「自分がされたくないことをされる」ことイコール人権侵害だと思っている人が多いのではないかと。自分がされたくないこと、世の中にあってほしくないことを禁止し、処罰することが、一番危険な人権侵害だと知らない人が多いのではないかと。

宗教的弾圧で大量の血を流し、自由の大事さを知った国の人々と違い、治安維持法で多少痛い目を見ただけの日本人は、人権がどういうものかなんてまったく分かっていないのではないか。それだったら、表現の自由の侵害に対して、考えもなく無条件に反対する人々の方がよっぽどましなのではないか…

そんなことを空しく思うのは、春の夜の奇妙な空気のせいかも知れない。