準児童ポルノは児童ポルノとはまったく異なる

…という論を立ててみた。この↓ニュース関連ね。

「準児童ポルノの根拠は」──MIAUがユニセフ協会に公開質問 - ITmedia NEWS

まず、子供っぽい外見に性的に惹かれるのは、道徳的に問題ではない。もしこれが問題なら、大人になっても子供っぽい外見の人(いるよね?)には、性的に惹かれてはいけないことになる。それは、そういう人に失礼だし、事実、世の中では、すべすべの肌を維持することや、目を大きく見せること、唇の色をよくすること(これらはすべて子供の特徴だ)に多くの人が一所懸命だ。

ということは、道徳的に問題なのは、精神的に子供である人に、性的に惹かれることだ。

さて、準児童ポルノ―という言い方は気味が悪いので、仮想児童ポルノと呼ぶことにするが、仮想児童ポルノはどのようにできているか。

小説だとしよう。書いているのは大人だろう。だから小説の登場人物の行動も、台詞も、全部大人が考えたものだ。ポルノ小説なら、性的に惹かれるような言動を登場人物にさせるだろう。それは、大人の考えによって作られたものだ。それに惹かれるのは、登場人物が精神的に子供だからではなく、大人がそう仕組んだからだ。

マンガの場合。登場人物は子供の形をしている。しかし上に書いたように、外見で子供っぽい登場人物に惹かれることには問題がない。その登場人物の言動は、小説の場合と同じように、大人が仕組んだものだ。

アニメやゲームの場合。登場人物は声を発することがある。しかし声優は大人であり、魅力的に聞こえるように声を作る。それも、大人が仕組んでいる。

つまり、仮想児童ポルノは純粋に大人の幻想の産物であり、これに惹かれるのは大人として不健全とは言えない。

もちろん、精神的にも子供である人(つまり本当の子供)に性的に惹かれるような(私から見ると異常な)人間が仮想児童ポルノに惹かれることは十分にあるだろうし、そういう人々をターゲットにするような(私から見ると道徳的に問題がある)仮想児童ポルノもあるだろう。しかし、この論理の逆は成り立たない。つまり、仮想児童ポルノに惹かれる人間がすべて児童ポルノを愛好するとは、論理的に結論できない。

というわけで、「仮想児童ポルノを愛好する人は、児童ポルノをも愛好する」という論理は、「バッティングセンターが好きな人は、人を撲殺したがる」という論理に似ていると思うが、どうだろう。