言葉狩りと思想の自由

運転していてふと頭に浮かんだこと。差別との関係で言葉狩りをしようとする動きを見かけるが、言葉狩りは思想の自由の侵害なのではないか。思想は思考から成り、思考は言葉=概念によってなされる。ある言葉をある社会から抹殺しようとすることは、その言葉の関わる思想を許さないということにならないか。

人権擁護法案にその行き着く先を見るようだけど、平等権の強化のために自由権を投げ捨てるのはバカだと思う。どっちも基本的人権で、バランスの問題だ。どうも多くの人々は、平等権侵害ばかりにびくびくしていて、自由権は気にかけていないように見える。

というわけでフロムの「自由からの逃走」を(ようやく)読んでいるところ。