競争社会だけどあまりストレスなく過ごしたい

大学教師はもしかしたら優雅な仕事でストレスもないだろうと思われているかも知れないけれど(まあ多くの仕事と比べたらきっとそうなのだろう)、近年は少子化で受験生獲得競争が激しくなっているし、国立大も独法化されて私学と予算の取り合いになっている。文科省がそもそも競争させたがってるようだから仕方がない。とまあそういうわけで、末端の教員にも、受験生を増やせだの外部資金を獲得して来いだの論文発表や特許申請をもっとしろだの、そういう圧力がやっぱり競争の形で降ってくるわけです。

多少のストレスは、自分が向上するためには必要だけど、度を超すときつくなる。特に、やらなければいけない仕事がいっぱいで時間がないときにはきつい。どうしたもんかな。

競争原理とは、各々の幸福の追求が、それらを含む大きな集まりを良くする、というものだ。ということは、このストレスを感じている状況でも、自分がやっているのは自分自身の幸福の追求だということだな。学校のために受験生獲得に努力する。でもそれは実は、そうすれば学校がうまく行くとか潰れないとかと考えていて、それはつまり自分が良い環境で働きたいという欲求のために努力しているわけだ。あるいは、仕事をサボると学部長だの何だのから文句を言われるのが嫌だからとか、査定に響いてボーナスが減るからとか、そういう理由かも知れない。いずれにせよ自分の欲求のためだ。

では時間の問題は何か。仕事で忙しい。だから、例えば読みたい本を読む時間がない。あるいは睡眠時間が足りない。これがストレスになる。

なるほど、つまり葛藤を引き起こしているのは、自分自身の欲求の対立であって、他者(競争をさせている人、競争相手)は関係ないんだ。仕事先の調子がよくなることと、見たいアニメを見ることと、どっちをとるかということだな。もしかしたらストレスは、自分の行動が、自分自身の欲求の優先順位に従っていないという信号なのかも。

スポーツにおける競争を考えてみると、勝とう勝とうとするより、自分の力を発揮しようと考えた方が、ストレスも少なく、実力も出しやすい気がする。いずれにせよ勝ち負けは結果であって、勝とうと思ったから勝てるのなら苦労はない。それならば競争社会でも、勝ち負けを意識せず、自分の幸福を追求することだけを考えて合理的に行動する方が、ストレスが少なく、しかも結果として「勝ち」やすいのではないか。

だとしたら、こうすればいいかな。まず自分の幸福にとって重要でない欲求は捨てるか優先順位を下げる。上司や同僚にどう思われるかとか、誰かに勝ちたいとか、そういうのはくだらない。他人からの評価はどちらにしろ自分ではコントロールできない。あとは、残った大事な欲求に優先度をつけて、人生に配置する。寝ることや食うことの優先度は下げようがない。そして、今日仕事で忙しくてこの本が読めないなら、明日は読めるのか、読まずに何年も経っていいのか、ということだ。それと来年度の入学生数とどっちが大事なのか。あるいは今日散歩すること、流れ星を見ること、ギターを弾くことはどうなのか。そうやって仕事に関することの優先度を相対化していかないと、仕事ばかりが重要になって、個人の幸福を追求するはずの競争原理がストレスの原因になってしまうんではないだろうか。

競争社会が暮らしにくいのは確かだけど、もしかしたら考え方次第なのかも知れないな。