情報の単純所持について、さらに。

児ポ法改正関係。この手の話を書くようになってから、Google から「外国のエロ画像」で飛んでくるアクセスが多い。そんな画像はありませんよ、残念ながら。

いろいろリンクを辿っていたら、規制反対派が言うようなことは起きない、そういう不安を煽る方法は問題だ、という話を見つけた。

http://d.hatena.ne.jp/uemada/20080317

この話、面白いので、これに絡めてこの問題についてもうちょっと書いてみたい。

こんなシナリオを考えてみよう。あなたがネット上で、とても便利そうなフリーソフトを見つけた。それは高度な機能を持ち、数千のファイルからなっていて、ZIP 形式で配布されている。そして、そのファイルのひとつが、児童ポルノ画像である。あなたは知る由もないが。

単純所持が犯罪ならば、このソフトをインストールしたあなたは、犯罪者である。児ポ嗜好とも、児ポ収集とも関係なく。

別のシナリオ。あなたは興味深いウェブページを自前でアーカイブすることを長年続けてきた。そのデータは数百万ページにも及ぶ。あるとき、児童ポルノ画像の単純所持が犯罪となった。

もし今までのアーカイブの中にたまたま児ポ画像がひとつでもあれば、あなたは犯罪者である。

これは、情報の単純所持が、普通の「もの」の単純所持と違うために起きる。これについては以前に詳述したので繰り返さない。

情報の単純所持を違法とすることの意味―児ポ法について - DMZ: 非武装地帯

さて、単純所持が犯罪であるならば、単純所持は悪いことである。悪いことはしたくない。しかし、上のようなことは、情報化社会では普通に起きうる。上のようなシナリオで自分の PC に児ポ画像が入り込むかもしれない。それは、警察に検挙されようがどうであろうが、犯罪であり、悪いことである。

それとも、単純所持をしていても、悪気がなくて*1、警察に見つからなければ、それは犯罪ではないのか? 法律に「単純所持は悪い」と書いてあるのに、単純所持をしている可能性があっても、悪いことをしていないと思ってよいのか? つまり、法を犯している可能性があっても、気にするなと言うのか?

もしも意図的な入手でなければ犯罪にならないなら、なぜ「意図的な入手」を犯罪とするだけではダメなのか?

これは根本的な問題だ。単純所持そのものは、罪なのか?それは誰かに危害を加えるのか?

それとも、単純所持の処罰は単に別の目的のための手段であって、それ自体は悪くもなく、誰にも危害を加えないのか? もしそうなら、上のような良心の不安には、どのように答えられるのか?

uemada さんのエントリに、「不安」というキーワードがある。児童ポルノ規制の大きな理由がその「不安」である。

http://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20080409ddm003070138000c.html

Q 自分で持っているだけなら、誰にも迷惑はかからないんじゃない?

A 画像の多くは盗撮や買春などで集められ、マニアや業者が複製を繰り返しています。被害者は「今も誰かが(撮影された画像を)見ている」という恐怖から逃れられません。[以下略]

単純所持処罰の理由に、ポルノ画像の被写体となった人の不安がある。それに対して、単純所持処罰を行なうと、これから情報化社会に生きる人々の不安が生まれる。この両方は、安心して暮らすことへの要求という点では同じである。単純所持処罰は、後者を大きくしすぎないだろうか?

情報化社会の大きな利点のひとつは、個人が情報を蓄積して利用できることだ。以前のエントリで書いたように、情報は普通の「もの」とは違い、取得するときにその内容を全て知ることは稀であり、所持していても内容を全て知っているとは限らない。(というか、それを知っておくことが無理なので、人間は情報を蓄積するのだ。)個人が自前のディジタル図書館を持つことができるときに、情報の単純所持を処罰することは、個人が情報を取得し蓄積することを萎縮させる。被害者の保護に対して、社会への不利益が大きすぎないだろうか。

単純所持処罰支持の方には、これから自分が自前のディジタル図書館を持つ立場や、ソフトウェアアーカイブを持つ立場、画像動画検索エンジンを作ろうという立場、あるいはそんな大それたことでなく、普通にネットから役に立つソフトや情報、コンテンツなどを手に入れるという使い方をするこれからのネットユーザの立場になって考えてもらいたいと思う。

……で、これだけだと、児童ポルノ問題は放置しろと言うのか、と言われそうなので、それについては次項で。

*1:悪気がある「入手」ではない、悪気がある「所持」の話。行為でなく、現在おかれている単なる状態に、意図の有る無しなど判定できるのだろうか?