表現の自由とネットと民主主義

最近、表現の自由を侵害しそうな法律制定・改正の動きが目立つ。共謀罪人権擁護法案児ポ法など。これらはそれぞれ「テロを防ぐため」「人権を守るため」「児童を守るため」という別の目的を持っている。それにもかかわらず、「表現の自由を制限する」という一点でつながっている。

これは偶然だろうか。私はそうは思わない。

この状況は、逆説的に、表現の自由が民主主義に重要だということをあらためて示しているんじゃないだろうか。

ネットの普及以前、言論はほぼマスコミの独占状態だった。本や論文や雑誌で意見を発表することはできても、テレビや新聞などのマスコミの影響力の前には蚊が刺すほどの力もなかった。私事に忙しい個人は、手軽なマスコミからしか情報を得なかったから。そしてマスコミは、どんなに理不尽な意見でも多数の意見に見せかけて(事実、マスコミによってその意見は多数のものの意見にさせられる)個人に押しつけることができた。

ネットが普及し、個人が意見を発表し、個人がそれを簡単に知りうるようになった。そして自分で考え、どの意見がより妥当かを判断できるようになった。これは、ミルが主張する、自由のもっとも大きな利益だし、民主主義の大前提である。個人が意見を持ち、考え、それを交換し、議論し、判断する。

民主主義の大前提は、言論がマスコミに独占されているときには成立していなかったのだ。

民主主義の目的は、権力者を国民のために働かせることにある。民主主義が機能しているとき、権力者は国民を恣にできず、その手は縛られる。ネットによって民主主義が復活する。それを権力者は嫌い、恐れる。これが最近の一連の、表現の自由を弾圧する立法・法改正の動きとなって現れているのだと思う。

ネットは、表現の自由をその本来の意味で実現し、マスコミによってその力を長く奪われていた民主主義を復活させる。そんな気がする。