なぜ紛糾しているのか、僭越ながら議員の先生方にお教えしましょう

人権擁護法案関係。自民党人権問題調査会で、太田議員私案「話し合い解決等による人権救済法案」について。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080529/stt0805292304007-n1.htm

このため会合は2時間近く紛糾。初めて会合に出席した加藤紘一元幹事長は「一体どうしたんですか。こんなに怒鳴りあうなんて33年も議員をやっているがこんなのは初めてです」と戸惑いを隠さなかった。

なぜなら、私人による差別の禁止と、思想の自由は、絶対に相容れないからです。つまり、どういう法律を作っても、私人による差別を禁止した途端、思想の自由は侵害されるのです。ニュースのこの部分

救済対象を「公務員、事業主らによる差別行為」などいくつかの類型に限定

にある事業主は私人ですよね*1

なぜ相容れないかを説明します。まず思想の自由、表現の自由はなぜ認められるべきか。ミルの「自由論」をお読み下さい。それは、そのような自由が社会を結局はよくするという信念と、多数者の暴虐から少数者を守るためのものです。公権力が価値観を押しつけることによって起きた悲劇(ヨーロッパにおける異端審問など)に対する反省から出てきたものです。

つまり、公権力はどのような価値観も押しつけてはいけない。個々人が自分の価値観を自由に発展させ、自由に行動することが結局はよいのだ、ということ。これが、日本が憲法前文に謳っている「自由のもたらす恵沢」です。

私人による差別は、差別意識という思想、つまり価値観に基づく行為です。その思想、価値観、行為は、時代のどのような価値観によっても強制/禁止されてはなりません。いくら差別的言動であろうが、禁止されてはいけない。

だから差別の是正は前回の人権擁護法案のような刑罰法規や刑事手続きによってはできないのです。せいぜい、財政的優遇ぐらいのものでしょう。おっと、法の下の平等を忘れないでくださいね。誰も公権力に優遇されてはいけないのですから。

(前回の人権擁護法案は刑罰法規ではないと主張する議員の方へ:法案には、人権委員会の指導に従わない人間の氏名の公表という項目がありました。これは私人がやったら名誉毀損罪です。公権力がそれを正当にやるなら、これは刑罰です。刑法に書かれていない刑だからといって、刑罰でないと主張はできませんよ。そして刑罰を規定している法なのだから、その手続きは刑事手続きで、捜索を「立ち入り」、押収を「留めおき」と言い替えたってダメです。それは憲法の刑事訴訟に関する規定を逃れようという脱法行為ではないですか?)

それから、ふた通りある私人間の差別を同じに扱わないでください。

  • ひとつ。被差別者に危害を加えるという差別。殴る、公の場で侮辱するなど。
  • ひとつ。被差別者に利益を与えないと言う差別。雇用しない、商取引をしない、など。

前者については今までも守られているし、個別法で十分対応できます。後者は、公権力が介入したら自由権の侵害になります。これらをちゃんと区別されてますか?*2

差別問題と人権問題は別の問題なのです。上のふたつ、前者は人権の文脈でなく、刑事か、損害賠償の話です。後者については、人権侵害でもなんでもありません。

要するに、私人間の差別を禁止したいのなら、我々は自由という考え方、つまり憲法の精神を捨てないといけないのです。どちらをとりますか?

これが、議論が紛糾している大きな原因です。

不当な差別をなくすには、それが不当だと皆に知らしめねばなりません。妥当な差別なら(「オウム真理教は危険だ」とか)その知見を共有するのは個人の幸福追求のために役に立ちます。さて、これでも表現の自由、商取引の自由を制限しますか? 公権力は、とある差別的言動が未来永劫普遍的に悪であると判断する能力を持っているのですか?

最後にもうひとつ指摘。私人間の権利調整の一方に公権力が加担するのは、法の下の平等を侵害する可能性が非常に高いと思いますよ。

先生方のこれからの活発なご議論を期待します。

*1:なお、もう一方の、公務員による差別は法の下の平等を侵すので当然ダメ。もっともその救済のために法律を作る必要はないと思いますが。

*2:詳しくはこちら→「差別=人権侵害」という誤解 - DMZ: 非武装地帯