心の病と西洋医学(続き)

心の病と西洋医学 - DMZ: 非武装地帯 の続き。

唯物論的な立場、つまり心は脳の生理的な働きによって生み出されている、という立場は、今の日本では常識として受け入れられていると思う。ヒトの脳は神経細胞が複雑に絡み合っていて、脳自身の働きによってその接続関係や接続の強さ(電気的、物理的、化学的)が変化するわけだ。つまり、思考は脳を生理的に変化させる、と考えるのが常識的だということになる。

ならば、思考によって抑鬱になることはあるということだ。というか、普通そうだろう。何か嫌なことがあった。だから落ち込んだ。自分の思考が原因だ。ならば「鬱病」の原因として、自分の思考が果たしている役割は大きいと言うことにならないか。

鬱病は脳内物質の不足が原因だ、というのは、それはそうかもしれない。でも、さらにその原因は、自分の思考だったりしないか。

そして 抑うつ - Wikipedia のびっくりの部分。

うつ病の成因論には、生物学的仮説と心理的仮説がある。 ただいずれの成因論もすべてのうつ病の成因を統一的に明らかにするものではなく、学問的には、なお明確な結論は得られていない。 また治療にあたっては、疾患の成因は必ずしも重要なものではない。スキーで骨折したのか、階段から落ちて骨折したのかによって、治療が変わるものでもない。治療場面では、なぜうつ病になったかという問いよりも、今できることは何かを問うべきである。この意味で、成因論は、学問的関心事ではあるが、臨床場面での有用性は限定的である。

待て待て待て。これは、脳の複雑さを無視してないか?脳には大脳に限っても百億以上の神経細胞がある。そのどの部分が不調なのかを知らずに、どうして投薬などが可能なんだ?自動車の調子が悪くてスムーズに動かないときに、その車を丸ごと機械油に浸ければ調子がよくなる、と考えているようなものだ。どこがどう折れているかすぐにわかる骨折と一緒にできる話ではない。

脳の複雑さから考えて、「抑鬱」と呼ばれる状態がたかだか数種類や数十種類で分類できると考える方が非常識じゃないのか。

さらにびっくりの部分。

心理的葛藤に起因しない内因性うつ病の場合
治療方針は、基本的に一般の病気と同じである。すなわち、病気であることを本人・家族が納得し、「無理をせず、養生して、薬を飲んで、回復を待つ」ことである。

まるで医学など微塵もない原始社会の民間療法のようだ…。細菌性やウイルス性の病気の場合、薬で症状を抑えておけば、免疫系の働きによって数日で強力な抗体が産生される。だから薬による対症療法が可能なのだ。外傷についても、さまざまな血球が炎症その他に反応したり、蛋白質合成が盛んになったりと、治癒するための機能がある。では、「鬱」という状態を異常だと判断しそれを癒すための生理的な仕組みは体にあるのか?それがなければ、「薬を飲んで回復を待」つことは治療とは呼べない。

鬱状態は、社会的には不適応だが、生理的には脳の健康な状態だと私は思う。つまり、鬱状態を治す機能は脳には備わっていないと考える。そんな機能が備わるほど、ヒトがこんなに複雑な社会を作ってから進化的な時間は経っていない。

もひとつ。

内因性うつ病の症状は、"気の持ちよう" "努力"などで変えられるものではない。変えられないものを、変えようと無理をすれば、症状を悪化させる。むしろ、変えようとせず、憂うつな気分に逆らわず、十分な休養を取りながら、時を待つべきなのである。

としているにもかかわらず、

うつ病の症状の一つに、将来を悲観してしまうことがある。病気のため、もう治らないとしか考えられなくなることも多い。しかし、うつ病はいかに重症でもいつかは改善するものである。いつかは良くなるという希望を持つことが重要である。

と書いてある。「気の持ちよう」で変わらないのなら、「いつかは良くなるという希望を持つこと」に意味があろうはずがない。これでは科学的とか言う以前に、論理的に破綻している*1

もっと常識的に考えられないものだろうか。

「脳は、思考によって生理的に変化する。その変化の仕方は、脳の複雑さを考えると、個人によって違うし場合によって違うと考えるのが妥当だ。だから、同じく鬱症状として観察/自覚される場合でも、原因によって実際に脳の中で生理的に起きていることは違うと考えた方がいい。

「脳の生理的変化が可逆的だと仮定するなら、鬱症状に陥った脳は同じく思考によって元の健康な状態に戻せる可能性がある。その思考は、原因に依存するだろうから、原因を考慮することは必須である。ただし、あまりにも生理的変化が大きすぎる場合には、修復までにかかる時間を楽に生活するために、脳を薬に浸けるという選択はあるだろう。しかし、薬には副作用があり、特に脳内物質を補う薬の投与は常識的に考えて脳がその物質を産生する能力の復活を阻害しやすいだろうから、投薬はできるだけ控えねばならない。

ということじゃないの?

私自身、学生の頃はすぐに抑鬱状態に陥っていたし、仕事を始めてからも、プライベートでいろいろあったり、研究がうまくいかなかったりして、長い抑鬱期間を過ごしてきた。DSM-IV で言えば1年以上も続く「大うつ病エピソード」を何度も経験してきた。そんなの、人生では普通だと思っていた。そして、気の持ちようと物事の見方や考え方、適切な行動を選ぶことで全て乗り切ってきた。

もちろん、これは人により場合による。どうしても薬が必要なことも当然あるだろう。でも「うつ病」「うつ症状」で心療内科にかかって薬を処方される人たちのうち、本当に薬が必要な人はどれだけいるのだろうか。脳を薬に浸ければ楽になる。だったら、医者は薬を出しておけばいいということにならないか。薬に快さがあれば、今度は依存の危険が出てくる。

DSM の基準に従えば原因を追及しなくても治療が始められる、らしい。信じられない。そんな「医療」をして私の大切な人々の脳を壊すな!

個人の脳の作りの多少の差異はあれ、抑鬱のほとんどは自分の考え方から来る、と私は思う。私が今までに得た知識と経験から。出来事に対してどう反応するか、どう思考するか、その日々の積み重ねが脳を生理的に変化させ、それが抑鬱に陥りやすい脳を作るのだと思う。体の健康が日々の食事と生活にかかっているのと同じように、心の健康も日々のものの見方や考え方、そして自分の行動にかかっている。

今の世の中の流れには、そういう視点がどうも足りないように思う。

追記:大事なことを書き落としてた。重要なのは行動。

関連項目:
心の病と西洋医学 - DMZ: 非武装地帯
心を鍛えること - DMZ: 非武装地帯
デジタル思考というか二分法というか - DMZ: 非武装地帯

*1:この部分が、実は「思考によって脳を修復できる」ことを示唆している。書いた人は気づいていないだろうが…。