度量の大きさ、自分自身の思考

http://japan.cnet.com/interview/media/story/0,2000055959,20361282,00.htm

元記事は消えてしまったようだけど、今でもいろいろな手で読める。ネットは偉い。

で、この記事の、津幡氏の「その才能を国のために」にツボを刺激されて反応した人が結構いるようだ。とても興味深い。

今どきのネット民なら、戦後のトラウマ(教育)が原因で「お国のため」に脊髄反射する人はいないだろう。「国のために」というのは、今の日本が全体主義でないなら「日本のみんなのために」と読み替えられるので、この部分は少しもおかしくはない*1

むしろこの多くの反応は、「才能を国のために」という発言への(反抗ではなく)「そんなものはくだらない」という心理から出ているように見える。産業界への軽蔑も見て取れるし。

これはどういう心理なんだろう。ひろゆき礼賛と、それによる彼への同化か。ひろゆき(=自分)は「国のため」にニコ動をやっているわけではない、「国のために」なんて何を言っているんだ、ということか。

ひろゆきは自分で考えて、いろいろな状況を自分のうちに飲み込んで、やりたいことをやっている。記事で読む限り、企業人も、自分の価値観を持ちながらも、価値観の多分違うと思われるひろゆきから何かを得ようと、建設的に話をしている。どちらも回りや相手に対して寛容で、そして自分の頭で考えている。でも同化は…

やっぱり全体主義化しつつあるかな。早くフロムを読み終えないと。あと産業界への軽蔑の心理は今後要注目だ。

*1:これが原因で記事が撤回されたと考えるなら、かなり認識の枠組みが歪んでいそうだ。損害賠償請求に応じないことを容認するような記事だったから、という見方が出ていて、それがきっと正しいと思う。