日本の情報吸収が早いのは日本語のせいかも知れない

明治維新後に西洋に追いついて、戦後にあっという間に復興した。海外からの情報吸収が速かったことが要因のひとつに挙げられるだろう。もしそうなら、なぜ速かったのか。日本人の勤勉さもあるかも知れないけど、もしかしたら日本語のせいもあるかも知れない、と思ったので書いてみる。

もしこれが正しければ、英語教育重視へのシフトは思わぬ結果を招くかも。

日本語では漢字を使う。子供時代に多くの漢字を覚える必要がある。これは、記号と意味の対応表を頭の中に作ることだ。この対応表を日本人は共有しているので、少ない記号列で意思疏通ができる。漢字のおかげで流し読みも容易だ。それに、漢字でできている語は意味が推察しやすい。aichmophobia という語の意味が何となく分かるアメリカ人より、尖端恐怖症という言葉の意味が何となく分かる日本人の方がきっと多いと思う。

だから英語よりも日本語の方が(皆が頭の中に対応表を作れるという前提では)情報伝達に有利なのかも知れない。

あ、ここでは書き言葉について考えています。話し言葉は英語の方が情報伝達が速い。使う音素のバリエーションが多いので。でも、社会の進歩のための情報としては、書き言葉の方が圧倒的に重要な役割を果たしていると思います。

話を戻す。日本語の方が英語よりも情報伝達に有利だと仮定する。次のふたつのうち、どちらが日本に広く海外からの英語の情報を行き渡らせるのに有効だろうか?

  • 日本人がそれぞれ英語でその情報を読む。
  • 誰かがその情報を日本語に翻訳し、他の人はその日本語を読む。

後者は、翻訳の時間はかかるが、その後は速い。日本人がみな英語をうまく操れるようになるとは限らないので、後者の方が有効じゃないだろうか。

そしてこれは明治維新後、そして戦後、日本で行なわれてきたことじゃないだろうか。

いま、日本語のブログはとても多いらしい*1。情報発信ではなく、ただ放電してるだけ、などと言われたりもしている。でも意外と何となく意思疏通ができてるのかもしれない。日本語の性質のおかげで。

ブログはともかく、もしもこの考察が、ある程度でも正しいとしたら、国語教育の時間を削って英語教育に力を入れること―つまり頭の中の対応表を小さくすること―は、母語による言語能力を低いままにしてしまうだけでなく、日本が日本語のおかげで持っているかも知れない優位性を自ら捨ててしまうことになりかねない。ただでさえ国語力の低下が顕著なのだから…

英語を小3から必修化。危険な実験のように思うがなぁ。大丈夫なのかね。

http://mainichi.jp/select/today/news/20080527k0000m040097000c.html

 政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)は26日、小学3年生から年間35時間以上英語教育を行うモデル校を5000校程度設置することなどを盛り込んだ第1次報告を福田康夫首相に提出した。文部科学省が近くまとめる教育振興基本計画に反映させるよう働きかける。

 英語教育で小学3年生からの早期必修化を目標に掲げたほか、小中高校の英語教員の採用方法の改善、学習指導要領の早急な見直しなどを提案した。